3月15日
2020年3月15日

「黙示録M−目を覚ませ!」
 武田 真治 牧師  イザヤ書 26:16-19 ヨハネの黙示録 3:1-6


 イエス様が七つの教会各々に語られた言葉を読んでいます。今日からは5番

目のサルディスの町にあった教会への言葉に入ります。ただし、最初からびっ

くりするような言葉をイエス様は仰っています。それが「あなたが生きている

とは名ばかりで、実は死んでいる。」です。教会が死んだような状態だと。な

ぜこのように言われるのでしょう?

 その理由はこのサルディスの町がまさに死んだような町になっていたからで

した。かつてはリディア王国の首都として大いに繁栄した町でしたが、今は衰

退していました。教会も元気がなく、こじんまりとしていたのでした。ただ、

それ故、他の教会のように厳しい迫害や教会内部での分裂などはなかったので

した。表面的に見れば問題のない教会でした。しかしイエス様は「あなたの行

いが、神の前に完全なものとは認めない」とあえて言われています。むしろ問

題さえ起こらない、力弱くひん死状態にあるのではと。

 なるほど「生きている」ということは、病気にもなるということでしょう。

活発に動き、伝道している教会には新しい人も入って来ます。当然、摩擦や誤

解が生じます。その時々に色々な問題や課題が生じるのは、その教会が生きて

いる証拠ではないでしょうか。家族が元気だということもだから色々と問題を

起こしてくれるということでしょう。何の問題も軋轢も生じない関係なら、そ

れは冷めた、どうでもいい関係になっているのではないでしょうか?

 それ故、イエス様は「目を覚ませ」と言われています。そのためには「死に

かけている残りの者たちを強めよ」「どのように受け、また聞いたかを思い起

こせ」と。これこそ《聖書のみ言葉を語れ》ということではないでしょうか。

福音を人々に伝える説教は《伝道》でもありますが、同時に説教は、瀕死の状

態にある人を「強め」、与えられた福音や信仰を「思い起こさせる」ためにも

為される必要があると。それこそ信徒の方への《牧会》ではないでしょうか。
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