2月23日
2020年2月23日

「詩編C−私を認めてくださる神」
 武田 真治 牧師  詩編 4:1-9 ルカによる福音書 23:44-49


 毎月末には詩編を続けて読んでいます。この4編は翻訳上の課題のある詩編

と言い得ます。2節は「呼び求めるわたしに答えてください。わたしの正しさ

を認めてくださる神よ」ですが、二行目の原文は「私の義なる神」です。新共

同訳のように訳しますと、私が義=私が正しいとなってしまいますが、それは

問題でしょう。神様が義である(=神様として正しく私たちの祈りや願いを必

ず聞いてくださり、答えてくださる)からこそ、私たちは「呼び求める」ので

はないでしょうか。それ故、4節の「主の慈しみに生きる人を主は見分けて、

呼び求める声を聞いてくださると知れ」も、自分の弱さや愚かさをよく知って

いるから、神様に頼るしかない者のことを「主の慈しみに生きる人」というの

であって、決して自分の正しさを主張する者のことではないはずです。

 この詩編は昔から《夜の祈り・晩祷歌》とされて来ました。それは5節の

「おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り、そして沈黙に入れ。」

という言葉から発しています。ここの「おののいて」も「怒ることがあっても」

とも翻訳できる言葉です。むしろこちらの訳の方が伝統的だと言えます(エフ

ェソ書4章26節)。まさに夜眠りにつこうとしたけれども、昼間の出来事を思

い出すと怒りが収まらない、あの人の言葉や態度を許せないと。しかし、寝床

に入って「自らの心」にそんなに怒るなと語り掛けて、ゆっくりと心を静めよ

と教えてくれている言葉だからです。その上で「ふさわしい献げ物をささげて、

主に依り頼め。」と。このふさわしさとは神様が喜んでくださるという意味で

あり、そのような献げ物とは讃美であり感謝の祈りでしょう。そして「主に依

り頼め」とは、その出来事の解決はもう神様にお任せなさいと。その時、怒り

は収まり、何とかゆっくり眠れることが可能になるということです。教えられ

ます!
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