11月10日
2019年11月10日

「黙示録@―時が迫っているから」
 武田 真治 牧師  ヨハネの黙示録 1:1-6


 皆さまからのお申し出を受け止め『ヨハネの黙示録』の講解説教を始めますが、

昔からこの書をどう読むべきかということが議論されて来ました。この黙示録は

「キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである」(二節)

と言い、自ら「この預言の言葉」(三節)と呼んでいますように、未来の事を予

告する《予言》ではなく、キリストからみ言葉を預けられて書かれた《預言》な

のです。そのような書として何より読まれるべきでしょう。また、三節は「この

預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちは幸

いである」とあります。「朗読する」とか「これを聞く」と言われているのは、

今私たちが為しているこの《礼拝》において朗読され、聞かれることを前提にし

てこの黙示録は書かれたという事なのです。だから、信仰者が聞くべきみ言葉

(=預言)が記されている書として読まれるべきなのです。その意味でこの書は

決して内容がつかめない、謎だらけの書物ではなく、読む者がこの書に従って生

きることが出来るように書かれているのです。

 そしてこの書で何より重要な点は「ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの

証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした」(二節)とあることです。

ヨハネはイエス様が実際に語られた「神の言葉」を耳にし、イエス様の「証し」

(=その伝道の業と十字架の上での殉教の業)を「見た=目撃した」ことを指し

ています。その上で彼が「証し」した言葉であるから、新約聖書の中に正典とし

て入れられたのです。この点で他のどのような預言や予言書とも違う特別な位置

を与えられています。私たちは、この黙示録をイエス様のみ言葉を今に伝える

《正典》として何より読むべきなのですね。
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