伝道者パウロは自分のこれまでの人生を振り返り、「わたしは、自分の置かれ た境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らす すべも知っています。」と述べています。以来、この《すべての時に足ることを 知る》という生き方が、キリスト者の理想となる生き方となって行きます。どん な時も神様から恵みの賜物は与えられており、その恵みと導きを感じながら感謝 して生きて行こうという姿勢です。《良かった探し》と表現する方もおられます。 そして、パウロは続けて「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」 と言っています。それには<秘訣>があるのだと。その方法とは何でしょうか? 私たちは簡単に、何か人生で起こって来る様々な出来事に対して達観(=悟り を開く)するような見方が出来るようになることがその秘訣ではないかと考えて しまいます。あるいは、自分の考え方や感じ方を楽観的に変えさえすれば《足る ことを知る》ようになれると思いがちです。しかしここで大事なことは、パウロ はその秘訣が(授かる=与えられる)ものだと言っている点です。自分で自分の 内面を変えることで到達できるものではなく、外側から与えられるものであり、 外から自分の内に入って来るものによって自分の中に起こって来る変化であり、 変えられていくものだと言っているのです。誰から与えられるのでしょうか? パウロは「わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしにはすべてが可能です」 と次に語っています。イエス様からの<強め>が自分の中に注がれることで《足 ることを知る》ようになれたのだと。これは聖霊の注ぎではないでしょうか。ど のような状況にあっても、自分を支え、導き、力が与えられて来た、その経験が あるから《足ることを知る》ようになったのだと。これなら私たちも「習い覚え」 ることが出来ます。 説教集インデックスへ戻る