パウロは、ユダヤ教徒であった時に天からイエス様の声を聞き、回心してキリス ト教の伝道者となりました。それ故、彼の究極の願いはその天に於いてイエス様と 再会することでした。今日の箇所で「この世を去って、キリストと共にいたいと熱 望しており」と語っている通リです。しかし、一方で「肉にとどまる(=この地上 で生きる)方が、あなたがたのためにもっと必要です」ということも痛いほど分か っていました。彼は「この二つの間で、板挟みの状態です」と正直に語っています。 まさにハムレットの状態と言い得るかもしれません。 しかし、彼はそう言いながらも、実はちゃんと自ら既に選び取っていました。そ れが次に続く「こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたら すように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう」という言葉です。 彼個人の願望はすぐにでも天へと向かうこと(=殉教)でしたが、その望みを追い 求めるよりも、彼の周りにいる人々のために生きることを選んだのでした。それが 彼にとって「わたしの救いとなると知っているから」だと語っています。この信仰 を私たちも学びたいと思います。自分の願望を追求することも大切でしょうが、た とえそうでなくても誰かのために生きる生き方もまた有り得ることなのだと。そし てその道を行くことが、最終的には「自分の救い」のためになるという信仰です。 他人の為に時間や労力を使うことを『損をした、わずらわされた』と考えがちなこ の世の中ですから、私たちはそうではない在り方もまた選んで行くことが出来る者 でありたいと願います。なぜなら、その生き方も長い目で見れば、自分の救いに役 立つことだからです。 説教集インデックスへ戻る