3月17日
2019年3月24日

「新しい道へ」
 石原 勝代 牧師  出エジプト記 4:10-17 ルカによる福音書 9:57-62


 エルサレムに向かう決意を固められたイエスと共に、イエスに従う弟子として覚悟

すべきことを聖書の言葉に聞いていきます。 モーセは、神に呼び出されたとき、そ

の声にすぐに従うことが出来ませんでした。与えられた使命はモーセにとって予想外

のことでしたので、神の呼び出しに応える用意もなく、何のことかもわからず、自分

の無力を訴えることしかできなかったのです。でも、主が共にいて下さる、という言

葉を信じ、支えられて、この後イスラエルの民を脱出させ、約束の地まで導いていく

者となりました。

 イエスに従う道も、モーセの召命と同じで、神の招きに応えるというかたちで始ま

ります。その始まりを間違うと、おかしなことになります。「どこへでも従って参り

ます」と言う人に対してイエスは、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、

人の子には枕する所もない」と、イエスに従うとは、この世に居場所を持たずに生き

ることだ、それでも従えるかと厳しく問います。次に、イエスが「わたしに従いなさ

い」と呼びかけた人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と答えます。

三番目に登場する人は「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに

行かせてください」と言うのです。従う決意をしながらも、家族との別れを優先する

者へ、イエスはそのような人は神の国にふさわしくないと言いました。

 わたしたちも、人とのつながりを大切に思うとき、簡単に別れられないし、神がめ

ぐりあわせた人との関わりは切り捨てられない、と思います。でも、そう考えていく

とき、気付くのです。自分の思いを優先させ、正当化するために、神がそうさせたと

言ってしまう、これが悪魔の誘惑なのだと。 大切な家族、愛する人、神が与えて下

さった存在を大切と思うあまり、目の前の人との関わりの中に、わたしたちは自分の

居場所を造り、居心地が良いので、気付かぬうちに神を忘れて、人との関わりの中に

落ち着いてしまいます。

 でも、自分にとって大切なその人は、神が命を与えたのです。わたしも神に命を与

えられたのです。神がひとりひとりに命を与え、めぐり合わせられたと思うとき、何

を第一とすべきなのかが明らかになります。神がいて、人がいる。この順序が大事で

す。神を愛し、隣人を愛するのです。だから、イエスの弟子として従う者には、まず、

神を第一とすることをイエスは求めているのです。

 わたしたちの前に広がる新しい道は、主と共に歩む道です。主が共にいて下さるの

ですから、自分ひとりで何とかしなくてよい道です。イエスはわたしたちに呼びかけ

ています。「わたしに従いなさい。」

 弟子となる覚悟をもって答えます。「主よ、あなたに従います。だから、助けてく

ださい。導いて下さい。行くべき道を示して下さい。」

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