十字架へと進まれるキリストは、こうお語りになってくださいました。「わたし の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用 意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻 って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」(2?3節)。 ここで、キリストがお語りになることは、ご自身の昇天についてです。昇天され るキリストは、私たちの天における場所を用意してくださるのです。キリストは、 私たちの死、そしてその死の先のことをお考えくださっているのです。 しかしそれだけではありません。「戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎 える」とおっしゃることを通して、天に昇られたキリストが、もう一度この世に戻 って来られる再臨の時のことすらお語りになってしまうのです。 キリストは、これらの言葉を、ペトロの裏切りの予告の直後にお語りになりまし た。そのことを通して、キリストは、ご自身の十字架の死が近いことを悟られたは ずです。ですから、この時に一番考えなければならないのは、キリストご自身の死 についてなのです。にもかからずその只中で、キリストはご自身をみつめるのでは ありません。キリストは私たちひとり1人を顧みてくださるのです。 キリストは、その深い憐れみをお示しになるために、差し迫るご自身の十字架に ついてお語りになるのでも、十字架の死からの甦りについて語られるのでもないの です。その先に起こる昇天、さらに再臨をお語りになられるのです。 つまり、それほどまで、キリストのご支配は確かに続くということです。キリス トは、ご自身のご支配が、十字架、復活、昇天、そして再臨に至るまで確かにあり 続けるとおっしゃってくださるのです。 目の前に迫る出来事ひとつ1つに、心が騒ぎ、心かき乱されるのが、私たちひと り1人の姿です。私たちは、時として情けないほど、目の前に迫るひとつ1つのこ とに、心揺り動かされるのです。どのようなことがあっても、キリストのご支配は 揺るがないと信じ切ることができないのです。 キリストは、そのような私たちひとり1人に向かって、キリストご自身の途切れ ることのない確かな御手のご支配を示してくださるのです。 説教集インデックスへ戻る