12月30日
2018年12月30日

「待ち続けた希望を見る」
 石原 勝代 牧師  イザヤ書 60:1-5 ルカによる福音書 2:22-35


 イエスの誕生のあと、イエスの両親は定められた律法に従って、神殿に行き、さ

さげものをすることで、新しい家庭を築き始めています。そのときに、マリアとヨ

セフに一つの出会いがありました。そこで、生まれてきた神の子イエスの使命が伝

えられました。

 シメオンは救い主を見るまでは死なないとのお告げを受けていた(26節)信仰者

です。シメオンはイスラエルの慰められるのを待ち望んでいました。国は失われ、

他の国に支配されているけれど、神はイスラエルをこのままにはされない。必ず救

ってくださると信じています。どんなにつらくても、希望を持ち続けることがシメ

オンを生かしてきました。必ず救い主メシアが来るのだと信じているその信仰が、

母の腕に抱かれた幼子に「救いを見た」と語るのです。

 この救いは幻ではありません。目の前にいる幼子イエスが救いです。神の救いは

いま確かなものとしてここにあるのです。ここまで生きてきた自分の人生を安心し

て委ねることが出来る、救い主との出会いです。待ち続けた者に与えられる「信仰

の発見」です。

 シメオンが幼子に見た救いとは「万民のために整えてくださった救いで、異邦人

を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」(32節)。全ての人に救い

が訪れたのだとシメオンは言います。

 神の救いを求め続けてきた信仰者は、母に抱かれた幼子、その幼子の中に、自分

の願いをはるかに超えた、神の壮大な救いの計画を見たのです。シメオンはマリア

に、神の救いを実現するこの幼子は、すべての人に喜んで迎えられるのではないこ

とを告げます。厳しい言葉ですが、イエスは成長し、神の子として働き始めるとき

に、多くの困難を負うことになるからです。これは、イエスを信じて従うわたした

ちへの言葉でもあります。キリストの誕生を喜び祝い、受け入れたわたしたちは、

教会を出て行った先で多くの困難にぶつかります。社会の不安定さは、わたしたち

の日常生活にもはね返ってくることでしょうし、人間関係のストレスの中で疲れを

覚えることもあるでしょう。でも、イエスは神を見失い、人間が人間を支配する世

界に、生まれてきたのです。わたしたちが信仰をもって生きるのは、現実から離れ

て別の世界に生きるためではありません。信仰によって、わたしたちは現実の苦し

みの中にあっても、神の救いの希望に生きることができるのです。神の救いは与え

られました。キリストは生まれました。わたしたちはその知らせを今年も確かに聞

いたのです。神の救いは、信じて待つ者に与えられます。シメオンによって、わた

したちも困難の中で希望を持ち続けることが出来ます。教会の外でクリスマスが終

わろうとも、わたしたちはキリストの誕生を自分の中にうけとめて、キリストと共

に歩き始めるのです。


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