7月8日
2018年7月8日

「祝福を受けるまでは」
久保島 泰 牧師   創世記 32:23-33 マルコによる福音書 7:24-30


 ある日、イエスさまの足元に母親がひれ伏して、汚れた霊に取りつかれた幼い娘を

救ってくださるように願い出ます。この母親はシリア・フェニキアの生まれです。つ

まり、ユダヤ人ではない、異邦人でありました。

 ところが、イエスさまおっしゃいます。「まず、子どもたちに十分食べさせなけれ

ばならない。子どもたちのパンをとって小犬にやってはいけない。」

子どもたちはイスラエルを、小犬は異邦人を意味します。つまりイエスさまは、私は

まず神の民であるユダヤ人の救いのために来たのだから、それを差し置いて異邦人を

救うわけにはいかない、と母親の願いを退けられたのです。

 ところが、この母親は引き下がりませんでした。「主よ、しかし、食卓の下の小犬

も、子供のパン屑はいただきます。」

この母親がイエスさまに申し上げた言葉は口語訳では次のようになっていました。

「すると女は答えて言った、『主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬

も、子供たちのパンくずは、いただきます。』 

 彼女はまず「お言葉どおりです」と言ったのです。つまり彼女は決してイエスさま

に言い逆らってはいないのです。

 少し言葉を補えばこういう意味でしょう。主よ、あなたのお言葉通りです。あなた

は神の民イスラエルの救いのためにいらっしゃった方です。異邦人である私たちの救

いが第一の目的ではないお方です。けれども、あなたの恵みは食卓からこぼれ出るほ

ど豊かなのですから、そこからこぼれ出る恵みのひとかけらをいただかせてください、

と言ったのです。異邦人としての身の程をわきまえたうえでまことに謙遜に救いを求

めたのです。この母親の言葉に対してイエスさまはおっしゃいます。口語訳では「そ

こでイエスは言われた、『その言葉で、じゅうぶんである。』となっています。

 あなたは私の言葉を受け入れたうえで、さらに自分が受けることができるかもしれ

ない救いを求め願った。あなたの言葉そのままで十分だ。ということです。

 私たちの主は、私たちがこの母親のように信仰によって深く御言葉を受けとめ、そ

してその信仰に基づいて切実に祝福を求めて祈ることを願っていらっしゃいます。私

たちが挑みかかるほどに主に向き合って願い求める信仰を待っていらっしゃるのです。

ですから、大胆に、謙遜に、粘り強く、つつましく求めて祈り続けましょう。

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