主イエスは群衆に対して天候を見分ける知恵があるのに「今の時代」を見分けられ ないと糾弾されました。次いで今の時代を見分ける洞察力すなわち信仰について語ら れました。今の時とは神と人間の間に特別な意味がある今の時代のことです。 「時は満ちた。神の国は近付いた」と主イエスは宣教を開始されました、その主の 到来の意味を洞察することが信仰です。神と人間が造っていく歴史で自分はどう関わ るか。自分の信仰について、どれだけ心を配っているかと問いかけられました。 造られていく歴史の中で人間が神の存在に気が付くように「しるし」を示されまし た。不条理と思われる出来事に人間の限界に気付かせること、また聖書の存在はその 代表的なもので、そこには神の御旨のことが集約されているのです。 「偽善者よ」とありました、神との関係で罪を犯しているというのです。主の愛か らくる糾弾です。私たちも同様に罪人・偽善者です。人ごとではありません。もう一 つ例話を語られました。要約すると〈自分と一緒に歩いている者を忘れてはならない〉 となります。実生活を省みてその難しさを痛感します。和解しないことが実に多いの です。和解、それは平和といってもよいのです。あなた方にはその心がないと言われ ました。そのことに責任があると言われました。その負い目は隠し立てできるもので はありません。この偽善に自らが気付かなければならないと問われているのです。 「あなたを訴える人」というのは共に歩いている〈人間〉もしくは〈神〉のことで す。共に歩いて主が目を留められたのは頑なな偽善者の姿でした。挙句の果ては十字 架の出来事です。やがて聖霊降臨によって教会が立てられ、他者と一緒に歩いている 者が、皆神の住まいとして迎えることができました。私たちの教会は新たな神の民を 造るのです。私たちの偽善が消える道を開いてくださいました。このキリストの福音 の恵みをよくわきまえることにより、今の時に正しい判断ができるようになるのです。 神の大いなる審判の到来を見分ける信仰が与えられます。これこそ誰しもが心得知る べき信仰者の正しい判断力というものです。これにより確かな信仰が養われるのです。 この福音の恵みに希望をもって歩み続けてまいりたいと願うものです。
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