4月22日
2018年4月22日

「そこにイエス様がおられる」
疋田 義也 牧師   詩篇 23 ペトロの手紙一 2:21-25


 今年度は主イエス・キリストの復活を祝うイースターによって始まりました。復活

の朝、空の墓穴を発見したマリアたちは、主のご遺体が取り去られたことに戸惑いを

覚えましたが、神の使い、そして主イエス・キリストご自身によって、主が死に勝利

し、人々を罪と死の支配から解放して下さる為によみがえられたことを告げたのです。

私達は、新しい年度の歩みを始めるにあたって、この復活の主が共に私達と共に歩み、

新たな歩みを導き、支えて下さることの恵みをもう一度確認したいと思います。

 春は暖かくなり、生命にみち溢れた季節です。私達はその天と地を創り、私達を愛

し、祝福して命を下さった神様を信じ礼拝していますが、その命を喜び、希望に満ち

て歩める時もあれば、反対に試練や困難の中で、その命の喜びを忘れてしまう事もあ

ります。私達を虜とし、時には現実から逃避させ、過ちを犯させ、命を下さる神様と

の関係を崩し、命の光に対して闇を落とすのが私達の罪の力なのです。

 与えられている命の本当の輝きを知り、また恵みを知る為に、まず私達はイエス様

の命に目を向ける必要があるのです。なぜなら、このイエス様こそがこの罪の力に打

ち勝ち、私達の命が罪の力の脅威から救い出された事を示して下さったからです。

 ルカ24章36節では、イエス様の死以降、祭司長からの迫害による死の恐怖の虜

となっていた弟子たちの様子が語られます。そこにイエス様は突如として、「平和が

あるように」と姿を現されたのですが、彼らは喜び迎えるのではなく、亡霊だと恐れ

たとあります。神様への信頼を抜きにしてイエス様の復活は語れないのです。イエス

様の十字架の死についても、また復活についても彼らはその意味を理解できず、受け

入れられなかったのです。イエス様はその苦悩と恐怖のただ中に立って、「まさしく

わたしだ!」と言い、彼らと食事をし、また彼らの目を開いてご自身の命の中に秘め

られた、恵みと喜びを手渡して下さいました。そこには、確かにこれまで歩みを共に

して来たイエス様がおられました。遠く離れてしまったと嘆いていたかもしれません

が、彼らは見捨てられていなかったのです。イエス様は私達の信仰者・教会としての

歩みのただ中に現れ、出会って、イエス様の命に秘められた永遠の命を知らせて下さ

るのです。

 イエス様は聖霊(「父が約束されたもの」)が与えて下さるとも約束されますが、

この聖霊こそが、初代教会に始まる私達キリスト者がキリストの命の恵みを知って証

しすることができるように、命の主である神様とを深く結びあわせて下さる絆となる

のです。

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