コリントの信徒への手紙15章はこの書全体のクライマックスであり、わたしたち の教会の信仰の核心となることが語られます。「あなたがたの中のある者が、死者の 復活などないと言っているのはどういうわけですか」と言う、コリントの教会で起こ っている具体的な課題に答える形で、復活の信仰について正面から取り上げて語られ ます。キリストの復活の事実と、キリストの復活がわたしたちの生と死に決定的な影 響をもたらすものであることを明らかにしてゆきます。この章がなければ、わたした ちの復活の信仰自体が随分おぼろげで曖昧なものになっていたに違いありません。 最初に、キリストの復活はわたしたちの信仰と生活の核心部分であり、これなしに は信じたことが無駄になってしまうといって、その重要さを強調し、「最も大切なこ ととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたことなのです」と、最も 古い教会の信仰告白の確認を求めています。「キリストが聖書に書いてある通り、わ たしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてある通り、三 日目に復活したこと、ケファに現われ、その後12人に現われたことです」と、福音 書が書かれるよりも前に教会で告白されていた信仰告白文をここに見るのです。これ によって、キリストの死と復活の事実が、わたしたちの罪のための死であること、確 かに葬られた人が三日目と言うこの世の時間の中で起こったこと、それは聖書に書い てある通りの神の計画に基づくものであったことを明確に認識していることが分かり ます。おそらく、パウロがこの告白文に加えて、復活したあと500人以上の人に現 われたこと、ヤコブに現われ、すべての使徒に現われ、最後にパウロ自身も復活の主 に出会ったことを明らかにしています。このようにして、こんなに多くのキリストの 復活の証言者がいることを示すことによって確認することができると主張しているの です。 ここに挙げられている復活の証人たちの証言は歴史的な事実の証言者としては欠陥 があります。いつ、どこで、どのように主イエスの復活に出会ったかの記述がないか らです。ここに挙げられている証人たちの順序は福音書が語る復活の出来事と順序が 違います。このような記述は、何を意味するのか?それは、復活の主との出会いは、 その現実と出会った人の信仰と生活の中でどのように現実化されていったか、生涯を 通じて人格そのものに変革と革新をもたらすものとなったかが問題で、この人々は、 その証人のリストであるからでしょう。それは、復活の主に出会う者のリストの列の 中にわたしたちも加えられると言うこともありうるということです。
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