ヨエル書 3:1-5 コリントの信徒への手紙一 12:1-11
コリントの信徒への手紙一の11章から14章では教会の集会のあり方について、適 正さと秩序とをどのように保つかについてパウロの指示が語られています。12章か ら14章までは「霊的な賜物について」すなわち、礼拝の中で混乱と戸惑いを起こさ せる原因となるもの、具体的には「異言」の現象をどのように捉えるかの問題につい て扱うことが主眼です。「異言」とは、集会の中で深い霊的な感動を受けて異様な興 奮状態で言葉にならない叫びや同じ言葉を声たかく繰り返したりすることです。その ようなトランスの状態が上からの霊の感動を受けたしるしとして、異言を語ることや 人が特別な霊的能力として、霊能者として重んじられる反面、何か異様な礼拝の雰囲 気に初心者や理性的に信仰を捉えたいと思う人々にはしらける思いに満たされること になっていたようです。初代の教会にはそのような現象が多くあったと想像されます し、現代の教会でも異言を語ることをもって霊的に満たされることのしるしとして強 調される教会もあります。 パウロはこのような霊的な興奮状態によって起こされる現象を「霊の賜物」として、 「知恵や知識、信仰、病気を癒す力、奇跡を行う力、預言する力、霊を見分ける力、 種々の異言を語る力、異言を解釈する力」と9つの力を並べて、これらの力は「霊的 なもの」、すなわち、自然的なもの、人間の生来持っている力とは違うもの、神から の力として認めています。「霊の賜物」(カリスマ)で、キリストの教会にはこれらの 賜物を与えられていること、与えられている人がいることを認めるのです。しかし、 それらの賜物は、同じ一つの霊から出ていること、しかもその霊を他の悪霊と区別し 見分ける基準は「イエスは主である」と告白することにあることを明らかにします。 主イエスの人としての歩み、十字架と復活において示された神の啓示、神の愛を証し する力と働きでなければならない、というのです。しかも、それらの霊の賜物は全体 の益となるためです」と語ります。独善性、力への驕りが深く排されます。
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