出エジプト記 32:1-6 コリントの信徒への手紙一 9:24-10:10
使徒パウロはキリスト者に与えられた自由、使徒として持っている権利をどのよう に用いることが真のキリスト者として、使徒として生きることにふさわしいかについ て、競技で栄冠を得るために節制するスポーツマンにたとえて勧めています。オリン ピックに国を代表して出場する人たちがどれほど熱心に練習に励み、自己管理に努め、 節制し、まさに自分の身体を打ちたたいて励んでいるかの姿をわたしたちもよく耳に して知っていますから、わかりやすい例えです。「あなたがたも賞を得るように走り なさい」と、賞を得るための節制と禁欲に努めるように勧めるのです。 コリントの町から14キロほど離れた所で2年に一度行われていたイストミアン・ ゲームはギリシャのオリンピアで行われていたゲームに次ぐ大きなスポーツと芸術の 祭典で有名でした。レース、レスリング、高跳び、ボクシング、円盤投げ、やり投げ、 ホッケーのような競技が主要競技だったそうですが、この手紙を受け取ったコリント の教会の人々もこれらの競技に熱中して盛り上がったでしょうし、様々な競技に参加 する選手たちの生き方に触れる機会も多かったことでしょう。パウロがコリントに滞 在中にもイストミアン・ゲームが開催されており、パウロもそのスタジアムで観戦し たり、テント・メーカーとしての彼の手の業を生かす機会であったかもしれません。 パウロはこのコリントの人々を熱中させるスポーツの祭典の出場者のあり方を例えに、 キリスト者も福音に従って生きるためには訓練と自己管理の仕方を学ぶ必要があると 教えるのです。パウロにとっても信仰生活、キリストの弟子として生きる生活は、レ ースやボクシングで勝利を得るためにストイックに励む人々の生き方に通じるところ があると観察しているのです。「競技をする人はすべてに節制します」。「自分の体 を打ちたたいて服従させます」と。「彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、 わたしたちは朽ちない冠を得るために節制するのです」と。イストミアン・ゲームの 勝利者に与えられる栄冠は、月桂冠ならぬセロリの枯れた葉を編んで作られた冠であ ったそうですから、キリスト者に与えられる栄冠は朽ちることのない永遠の命で比べ ようもない貴いものということになります。 さて、現代のキリスト者はどのようにキリスト者の自由を生かし用いているでしょ うか。この自由は自分を生かすより他者を愛し自由にするときに真価を発揮すると教 えられました。そのためにはこの節制と禁欲、自己管理が、キリストの弟子として課 題となるのは確かです。わたしも福音にあずかる者となるためです。
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