創世記 3:1-19 マタイによる福音書 4:1-11
十字架に向かう人の子イエスの歩みの初め、荒れ野でサタンの誘惑に遭われたとい う印象深い出来事が福音書にしるされています。主イエスに最も遠い存在であるはず のものが、最も近くに、主イエスの内面にまで入り込んで、その行く道を操ろうとし ていることに驚かされます。これらの三つの誘惑をもって、神の子としてどのように 生きるか、真の救いとなる道は何かが試されているのです。 第一の誘惑は40日40夜断食をした主イエスに、神の子ならこれらの石をパンにな るように命じたらどうだと誘います。石をパンに変えることによって、自分の空腹を 満たすだけでなく、石をパンに変えるという知識と技術を用いて人々を救うという救 済の方向が示されています。石が金に代わり、金が日々のパンに変わる、これは私た ちの日々の営みそのもので科学技術も経済活動もすべてここにかかっています。現代 人もここにこそ救いと明日への希望があると信じて懸命に働いていると言えます。主 イエスはこの誘惑に対して、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一 つ一つの言葉によって生きる」と申命記8:3の言葉をもってこれを退けられました。 出エジプトの時荒れ野の旅をしたイスラエルはマナと鶉、岩からの水によって養われ ましたが、それらを与えてくださる主なる神の配慮があってそのような命を養うもの が与えられたのであって、物を偶像化する本末転倒に陥ることなく神の言葉に従うよ うにとのわきまえが必要であることを明らかにしています。 第二の誘惑は、神殿の屋根の端で、神を礼拝する人々の前で「神の子なら飛び降り たらどうだ。神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たる ことのないように、天使たちは手であなたを支える」と書いてある、と聖書の言葉を もって試します。人々がメシアに期待するもの、それはまさに超人的な力、人知を超 えた霊的な奇跡をもって人々を驚嘆させ、目に見える形でその力を示すことにほかな りません。主イエスもガリラヤで病をいやし、目の見えないものの目を開き、水の上 を歩き、5つのパンと2匹の魚で5千人を養い多くの奇跡を行われました。それ故に多 くの群衆が主に従ったのです。しかし、主イエスは「あなたの神である主を試しては ならない」と申命記6:16の言葉をもってこれを退けます。自分を神の上に置くこと、 人に媚びること、神を人間の欲望によって操ることを戒められるのです。 第三の誘惑は、非常に高い山で全世界の繁栄を見せて、わたしを礼拝するならこれ らのすべてを与えようと言います。この世の繁栄はすべて悪魔のわざであることを示 唆する言葉ですが、主イエスはこれを見抜き「サタンよ、退け。あなたの神である主 を拝み、ただ主に仕えよ」と語られました。主が選ばれた道はすべて十字架を負って 生きることに向かっていることに気づかされます。
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