マラキ書 3:19-24 コリントの信徒への手紙一 7:17-24
主イエス・キリストに結ばれた生き方の具体的な形について、特にこれから結婚す る人に対しての助言、離婚や死別した人の再婚についてどう考えるべきかの助言が扱 われています。その助言の内容は、未婚のままでいることが望ましいが、結婚しても 罪にはならない。結婚している人は別れてはならない。死別した人は現状にとどまっ ていなさい、と玉虫色の助言です。結婚の関係については一貫して消極的な見解が続 きます。その理由は、「その身に苦労を負うことになる」から、また、「今、危機の 時が迫っているから」現状にとどまっている方がよい、というのです。これから結婚 しようとする人に向って語られるべき常識的な言葉からは大きくかけ離れています。 結婚生活の喜びや祝福、互いに配慮し合うことの大切さ等々、人生の幸・不幸を左右 する結婚生活に必要な知恵や教訓ではないのです。そのような助言に続いて不思議な 言葉が続きます。「定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人の ように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は 持たない人のように、世のことに関わっている人は、関わりのない人のようにすべき です。この世の有様は過ぎ去るからです」と。パウロはこの世でのキリスト者の生活 を「時が縮まっている」という緊急事態の中にいると捉えています。 終わりの時、究極の裁きのときが迫っているという緊張の中での生き方として、二 つの特徴的な生き方・考え方が示されています。一つは、時が迫っているという現実 に直面する時、この世の結婚といった重要事項でさえ、すべきか・すべきでないかの 決断も相対化され、絶対的なものではなくなる、ということです。究極以前の問題だ と。わたしたちは現在直面している問題に没頭して将来のことについては無知ですが、 終わりを知っているキリスト者は、この世のすべての関係の相対化、非神話化を図る ことができることを教えられます。第二のことは、「泣く人は泣かない人のように」 と「〜でないかのように」という5つのことが並べられている生き方です。諸行無常を 悟るところから「もののあわれ」を感じて生きる東洋的な思想や、「万物は流転する」 と見通して身体的な快楽の世界を超えた霊的な世界を求めたギリシャの哲学者の思想 などにも通じる言葉です。それらと決定的に違うのは、この世の有様は過ぎ去るとき、 虚無と死ではなく主イエス・キリストが来られるということです。この再臨の希望の 中で終わりを待つものの究極の生き方、考え方が示されているのです。2コリント4:7 〜11と重ねると、その独特の味わい違いがよく分かります。
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