イザヤ書 7:10-17 マタイによる福音書 1:18-25
マタイによる福音書が告げる主イエス・キリストの誕生物語は、聖霊によってみごも った許嫁のマリアを妻として迎えることになったヨセフの決断に焦点を合わせていま す。その中で、「すべてこのことが起ったのは、主が預言者を通して言われていたこ とが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はイ ンマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』と言う意味である」 と告げられるのです。マタイによる福音書では、十字架にかかり三日目に復活した主 イエスが弟子たちを集めて最後に大宣教命令を与えたうえで、「わたしは世の終わり まで、いつもあなたがたと共にいる」と語られてこの福音書を閉じています。主イエ スの生涯をインマヌエルで囲んでいるのです。従って、このメッセージはマタイによ る福音書が主イエスの生涯を描くにあたって最も伝えたいと思っている中心メッセー ジであることが分かります。 「神は我々と共におられる」というメッセージを自分の人生に起こった事態の中で信 じ、受け入れ、そこで果たすべき責任を引き受けたヨセフの信仰とはどんな信仰だっ たのでしょう。主イエスを通して実現した「インマヌエル」の事態が確かにわたした ちの世界の出来事になるためにヨセフが果たした大切な役割を数えると、 1.マリアを妻として迎え入れる決心をしたこと。二人が一緒になる前に、身ごもっ たマリアがいくら聖霊によって身ごもったと言っても、その子の父となることを 引き受けるのは別の話です。ひそかに離縁しようとしたのは当然です。しかし、 ヨセフは主の天使の言葉を聴いて、信じ、従ったのです。 2.生れ出る子をダビデの家系に連なる者として受け入れ、メシアはダビデの子とし て生れるとの預言の実現を証ししたこと。主イエスは聖霊によって身ごもったマ リアの子ですから、「ダビデの子ヨセフ」が生まれ出る子を父として受け入れるこ となしにはこのことは実現しませんでした。 3.父として生れ出る子に「イエスー主は我らの救い主」と命名したこと。主の天使 に教えられたことでしたが、「この子は自分の民を罪から救う」との約束を信じ 期待したからです。 4.マリアの夫として、また幼子イエスの父としての全責任を負ったこと。ヨセフは、 ベツレヘムの2歳以下の幼児を皆殺しにしたヘロデ王の凶刃から逃れてエジプト に逃れ、ヘロデの死後イスラエルに帰ってナザレに住むこと、 これらすべては父ヨセフなしにはできませんでした。これらの働きはすべてヨセフ の聖霊の働きに対する信仰と従順、そして、決断なしには起こらなかったことです。 わたしたち誰もが期待する「神共にいます」はこのような信仰に於いて現実となり実 現しているのです
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