ミカ書 7:18-20 コリントの信徒への手紙一 6:9-12
使徒パウロはコリントの教会に蔓延している自堕落な信仰と生活を正すために激し く厳しい言葉を続けます。「正しくないものが神の国を受け継げないことを、知らな いのですか。」こう言って具体的に10の正しくない行為をする者を挙げています。 みだらな者、偶像礼拝をする者、姦通する者、男娼、男色をする者、泥棒、強欲な者、 酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者です。初めの5つが性的な関係の 乱れ、後の5つが所有をめぐる破壊行為で、すべてが人間の内なる欲望に支配されて 人と人の関係を破壊する行為を取り上げています。ここに挙げられている悪徳は5章 11節にもほとんど同じことが取り上げられていて、そのような人とはつきあうな、一 緒に食事もするなと言われていました。特に、ここで「姦通する者、男娼、男色」の 三つが新しく加えられているのに気づきます。 ここに現代の世界の教会を揺るがしている同性愛(LGBT)をめぐる問題を考え る一つの入り口があります。社会は人間の性志向性は男か女かの両極に分かれるもの ではなく、また、心の性と体の性とは一致しないこともありうることを認めてLGB Tを容認する傾向にありますが、パウロは、「神の国を受け継ぐことは出来ない」と 厳しい姿勢で臨むのです。これをどのように考えるべきかが課題です。 ここで語られている文脈からその真意を正しく理解しなければなりません。まず、 ここで神の国を受け継ぐことができない10の項目は、コリントの教会の中に実際あ った信仰者にふさわしくない生き方の例証でであって、これによって神の国には入れ ない要件が網羅されているわけではなく、また、教会から排除する条文が示されてい るわけでもないことに注意しなければなりません。いわば状況の倫理なのです。次に、 パウロが同性愛に対するこのような厳しい姿勢を示すのはパウロ個人の見解ではなく、 これは旧約聖書以来の姿勢であって、人間を男と女に造られたという神の創造の秩序 から「自然の関係にもとるもの」との考えに基づいています。これによってギリシャ・ ローマの文化では比較的緩かった同性愛への志向と対決してキリストの教会では夫婦 の性の関係を基にして清潔な家庭を築くことを志向した社会倫理の考えが貫かれてい ることを考えなければなりません。更に、ここに挙げられた10の正しくない行為は、 すべて肉体の死と共に滅び去ってしまう人間の欲望にすぎません。神の国に至る永続 性と不滅性を持つものでないことは確かです。「主イエス・キリストの名と神の霊に よって洗われ、聖なる者とされ、義とされています」という事態と共に、これらの欲 望は後に退けられます。とはいえ、わたしたちは今なおこの世に生き、肉の欲の中で 苦しみもだえる時を生きています。一人一人の中にある悩みも主が共に担ってくださ る中で聖化への歩みが続いていることも忘れることは出来ません。
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