申命記 4:32-40 コリントの信徒への手紙一 5:9-13
コリントの信徒への手紙には、教会の中で起こっているスキャンダラスな性的関係 を持っている人に対して、そのような人を教会の聖餐の交わりから排除するように、 とのこの教会の創設者であるパウロの厳しい指示が語られています。キリストの愛と 寛容に倣う教会においてこのような厳しさが求められていることに驚かされますが、 さらに、5章9節以下では、このような指示は教会内の規範であって、「この世のみだ らな者と強欲な者、また人のものを奪う者や偶像を礼拝する者とは一切付き合っては ならないということではありません」と、教会の外部の人と内部の人との交際の仕方 に差異があるべきだと言っています。兄弟と呼ばれる人との間には特別の倫理基準が 設けられているのです。キリスト者は神に選ばれ、キリストの贖いによって罪を赦さ れ聖なる者とされた者ですから、お互いの関係においても特別な基準が求められるだ けでなく、その基準を逸脱する者があれば、その者とは「付き合ってはならない。一 緒に食事をしてはならない」と言う排除の処置が求められているのです。「一緒に食 事をしてはならない」というのは、具体的には聖餐の交わりに加えてはならないとい うことで、これが教会の戒規の「陪餐停止」ということになります。一般の社会では 「外には厳しく内にはやさしく」の原理が働きますが、教会の基準は反対で、内には 厳しく外ではゆるいことになります。内と外の間には壁があって、内側の人には独特 の規範が要求されますが、「外部の人は神がさばきます」と、外の人との交わりは比 較的自由なのです。このような教会の内的な規範のことを「教会の自律的な訓練」と いいます。 どうしてこのような規範が生まれるのか。自由と個々の生き方や価値観を最大限尊 重するはずの教会に、また、罪ある者を愛と赦しによって立なおさせる信仰の共同体 の中にこのような自由を規制する戒規がどうして必要なのか、わたしたちには理解し にくいところがあります。このことが施行されるには明確な信仰と主イエス・キリス トとの確かな関係が築かれていなければなりません。戒規の目的は、教会が邪悪な者 の集合体とならないため、良い人を悪い風習によって堕落させないため、罪を犯した 人を罪に気づかされ、悔い改めて立ち帰らせるためと言われます。キリスト者の自由 は人間の欲望の自由ではなく、キリストの主権が貫かれる中で全うされなければなり ません。聖霊の宮であるキリスト者のあり方が問われているのです。
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