出エジプト記 12:14-20 コリントの信徒への手紙一 5:7-13
来年は宗教改革500年を記念する年になり、世界中のプロテスタント教会ではす でに今年から様々な記念の行事が行われています。宗教改革の三大原理と言われる 「聖書のみ」「信仰義認」「万人祭司」の原理は今もわたしたちの教会を貫く基本原理で、 それらに基づく信仰と生活が生きて働いているかは主の前に絶えず検証されなければ なりません。1517年10月31日にルターがヴィッテンベルクの城教会に掲げた 「95ヶ条の提題」は次の言葉から始まっています。「わたしたちの主であり師であ るイエス・キリストが『あなたがたは悔い改めなさい』と言われた時、彼は信じる者 の全生涯が悔い改めであることをお望みになったのである。」ここから、当時のロー マ・カトリック教会が免罪符を販売するような行為に走ったことの内にある教会のお ごり、神になり替わる不遜を指摘するのです。キリスト者は一人一人が神の前に立ち 主イエス・キリストの十字架の贖いによらなければ生きえない罪人であることを絶え ず自覚すべきこと、それにもかかわらず赦されて復活の命にあずかり、和解の福音を 証しし宣べ伝える使命を託された者、油を注がれた祭司として生きるべき者であるこ とを明らかにすることから教会の改革が進められてきました。「キリスト者は神の言 葉を教える権利を持つだけでなく、それをする義務を持っており、それをしなければ 魂は滅び、神の不興を受けることになるのは確かである」とルターは言います。キリ スト者は絶えず悔い改めを必要とすると共に、罪を赦されて与えられている大いなる 使命を帯びた者であることを改めて思い起こさせてくれます。 コリントの信徒への手紙からそのような使命を与えられ、聖なる者とされた共同体 から大きく逸脱、堕落した状況に対してパウロの牧会的な指示の言葉を聞くことがで きます。性的な関係の逸脱、スキャンダラスな関係を持つ者に対して「こんなことを する者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか」と共同体からの排除、 具体的には聖餐の食卓にあずかることから遠ざけるように指示しているのです。共感 と同情、寛容と受容とは違う厳しい姿勢です。その理由をパウロは旧約の過越祭の守 り方を例にとって教えています。過越祭は「除酵祭」と呼ばれるように、祭りの前に家 中をきれいに掃除して一切の酵母菌を排除し、種の入れないパンを焼いて7日間食べ 続け、神の救済の歴史を想起する習慣です。種入れぬパンの祝いによって神を礼拝し、 神の救いの歴史を想起してその導きを祈る共同体の礼拝に向う心構え、礼拝への正し い姿勢を求めているのです。
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