エレミヤ書 20:7-13 コリントの信徒への手紙一 4:9-21
コリントの信徒への手紙は、父親が自分の子供に対するように、「愛する子供を諭 すため」に、自分の家の子どもはこのように生きて行って欲しいという父親の篤い思 いがほとばしるような、時には激しいことばをもって、書かれています。「キリスト に結ばれたわたしの生き方に倣って欲しい」と、取り澄ました儀礼的な言葉を重ねる のではなく、このような直接的な言葉が語られています。表面的でない人間の現実が リアルにあらわされ、後の世でその言葉を聴くわたしたちにとっても、深く心を探ら れる上からの呼びかけを聞くことができます。 パウロはあからさまに「わたしに倣う者になりなさい」と語ります。それはどのよ うな生き方か、パウロは語ります。「神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように 最後に引き出される者となさいました。わたしは世界中に、天使にも人にも、見世物 となったのです」と。キリストに結ばれた生き方を、平穏な、満ち足りた、特別な幸 いな運命に与った勝利者のようなイメージで描き出すのではないのです。「わたした ちはキリストのために愚か者となっていますが、あなたがたはキリスト信じて賢い者 になっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されて いるが、わたしたちは侮辱されています。」このように、自分の誇りを捨てきれない で互いにねたみと争いの中にあるコリントのキリスト者のことを強烈な皮肉を込めて 語りながら、対比的に、使徒として生きる者たちがこの世で自らを現す生き方の実態 をありのままにさらけ出しています。「今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る 物がなく、虐待され、身を寄せるところもなく、苦労して自分の手で稼いでいます。 侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられてはやさしい言葉を返して います。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています」と。 まるで自虐的とも思える言葉を敢えて使って、キリストと結ばれた使徒たちの生き方 を示しているのです。 キリストに結びついて生きる生き方は、キリストの十字架と復活によって罪を赦さ れ、神との間に和解を受けて、神の国の世継ぎとされ、復活の命にあずかるものとさ れました。そのようにして新しい命に生きるキリスト者の新しい生き方は、まさに、 十字架に向うキリストの歩み、生き方に倣う者となります。「わたしの後に従いたい 者は、自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と言う主イエスの 言葉が胸に響きます。
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