9月4日
2016年9月4日

「わたしは植え、アポロは水を注いだ」

エゼキエル書 33:1-9 コリントの信徒への手紙一 3:1-9


「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導

くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。わたしは植え、アポ

ロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」(5〜6節)。「わたしは

パウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と、

四分五裂状態のコリントの教会のキリストの教会らしからぬ事態に対してよく知られ

ている上記の言葉が語られています。教会は人間の集団ですからそれぞれの信仰や思

想、好みや経験によって親しいグループができるのは自然のことで、これが互いの間

でねたみや争いにまで発展することも珍しくありません。しかし、パウロは、それで

はあなたがたは「肉の人」であって「霊の人」ではない。ただの人に過ぎないではない

かと、激しい言葉で反省を促し、「十字架の言葉」によって変えられることを求めて

います。その中で、コリントの教会に福音を宣べ伝えたパウロ、その後をついだ伝道

者アポロのそれぞれの役割を植物の成長にたとえて「わたしは植え、アポロは水を注

いだ。しかし、成長させてくださるのは神である」と語るのです。

 この言葉にはどこにも通用する深い知恵が潜んでいます。何事につけても、どちら

かを排除しどちらかだけを選ばなければならないという排除的思考ではなく、どちら

の働きも重要で互いに組み合わされてはじめて成立することを認めるべきこと。どち

らかがより重要で他は意味がなく無用ということではなく、どちらも必要であり有用

で、どちらかだけを重んじ他を軽んじることがあってはならないこと、どのような働

きも絶対的なものはなく相対的なものであることを自覚し、謙虚に支え合うべきこと。

「成長させてくださるのは神である」と語られるように、互いに神に仕える者として

働くべきこと、等々、自分が、自分が、と自分の働きだけのことを考えがちな人間の

すべての営みにおいて適応されるべき基本のことがこの短い言葉によって格言のよう

に示されています。

 しかしこの言葉は一般的な共同体の在り方の倫理を示す格言ではなく、キリストの

教会が、従って、わたしたちの教会が生きるべき形を示す言葉です。この世のもので

はなく「霊の体」として、永遠の命を受け継ぐものとされているキリストの教会、十

字架の言葉によって集められ、復活の命によって養われる教会の中で、働く者が互い

の働きを認め、互いに神に仕えることにおいて一致するための基本の考え方です。

「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植え

る者と水を注ぐ者は一つですが、それぞれの働きに応じて自分の報酬を受け取ること

になります」


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