ネヘミヤ書 8:9-12 コリントの信徒への手紙一 1:4-9
コリントの信徒への手紙は、パウロがコリントの教会の人々を思い浮かべながら、 主なるキリスト・イエスの前でどのような歩みであるかを検討し、さまざまな牧会的 な課題を取り扱っている書物です。最初のあいさつに続いて、「あなたがたがキリス ト・イエスによって神の恵みを受けたことについていつも神に感謝しています。あな たがたはキリストに結ばれて、あらゆる言葉、あらゆる知識において豊かにされてい ます」と、コリントの教会に与えられた特別の神からの賜物について感謝をしていま す。確かに、コリントはギリシャの古代都市で、高い文化的な伝統を持ち、またロー マの植民都市としてアカイヤ地方の政治的・経済的な中心地でしたから、教会に集ま る人々も「あらゆる言葉とあらゆる知識において豊かにされている」と語られるのは 当然と言えば当然です。しかし、この後に続くこの手紙で取り扱われる内容は、コリ ントの教会の中にある内輪争い、性的な関係の乱れ、偶像礼拝の習慣に固執しながら の信仰生活、霊的能力の競い合い等々、キリストの教会に期待されるべき聖性とは程 遠い、極めて世俗的な教会の様子が映し出されています。その問題性の根底にあるの は、自らの言葉と知識に対する誇りがそうさせていることを、パウロは見抜いていま す。まさに人間的な言葉と知識を誇ることが主イエス・キリストの十字架の死と復活 を通して与えられるキリスト者の生命力、愛と希望の共同体を変質させ、世俗に堕し た集まりにすぎなくさせることを、それぞれの問題と取り組む中で明らかにしてゆき ます。 その意味で、「あらゆる言葉とあらゆる知識において、すべての点で豊かにされる ことを神に感謝している」という言葉は、コリントの教会に対する皮肉と捉えられな くもありません。しかし、パウロがこのようにコリントの教会について語る時、彼は コリントの教会の人々の現状を見ているだけでなく、主イエス・キリストと聖霊によ って交わりに入れられたその初めと、主イエスによってもたらされる終わりとの全体 を視野に入れながら、コリントの教会に与えられた神の恵みを感謝していることに気 づかされます。コリントの人々を今捉えている罪赦され聖とされた事態とはいいがた い世俗的な現実にもかかわらず、罪に打ち勝つキリスト十字架の死と復活の力を信頼 する故に、このように語ることが出来ることを知らされます。終末論的な視野におい て、主にある兄弟姉妹との交わりに生きているのです。
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