詩篇 102:13-19 ヨハネの黙示録 7:9-17
ハイデルベルク信仰問答の最後の問いと答えは主の祈りの最後の頌栄の言葉「国と 力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり、アーメン」についての解説です。そ して、この128と129の問いと答えをもってこの信仰問答全体が完結します。主の祈り が記されているマタイによる福音書6:9〜13にもルカによる福音書11:2〜4にもこの言 葉はありません。これは後の教会が主の祈りを礼拝に用いるようになって付け加えら れたものだからです。既に3世紀の「ディダケ―」という文書にはこの頌栄がついてい ますから、この祈りの最後にこのような言葉を加えることは随分古くからあったこと になります。もっとも、ディダケ―では「御力はとこしえにあなたのものだからです。 アーメン」となっていて、現在のように、御国、御力、栄光が限りなくあなたのもの だからです」と言う形に定着したのは9世紀ごろであったようです。 主の祈りは前半で、「神の御名、御国、御心」の実現を求める祈り、後半は「わた したちの日ごとの糧、わたしたちの罪の赦し、わたしたちが試みに遭わせられないよ うに」と祈る構造になっています。これによってわたしたちが神の御前で正しく健全 にこの世界に生きるために霊と心と身体に必要なすべてのことが包まれているのです。 「主の祈りは世界を包む祈り」と言われる通りです。これらのすべて祈りは、わたし たちがそのように願いそれを実現する力や資格があるからというのではなく、「あな たがわたしたちの王であり、すべてを支配なさる方であり、すべての良きものを喜ん で与えてくださる方であるから、あなたの聖なる御名が讃えられますようにと祈るの です」と、このような意味がこめられています。これは旧約以来の神をたたえる祈り の言葉「頌栄」の伝統に根ざしており、詩篇の言葉を始め多くの旧約・新約の箇所で 確かめることができます。「後の世代のためにこのことは書き記さねばならない。主 を賛美するために民は創造された」(詩篇102:19)と、自らと自らの民の存在理由その ものを主を賛美するためのものと位置づけること、この精神が受け継がれているので す。 主の祈りの最後に「アーメン」と唱えること、これは「真実であり、確かなことで す」と言う意味のアラム語で、これも旧約以来の祈りの伝統に沿っていますが、主イ エスが使い、ペトロが使い、パウロが使い、代々の聖徒が使い続けてきたこの言葉を、 いまわたしたちも同じ心で主なる神との生きた交わりをもっている不思議、この祈り に加えられている不思議をこれによって体験します。
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