5月1日
2016年5月1日

「みこころが行われますように」

エレミヤ書 17:9-18 マタイによる福音書 26:36-46


『ハイデルベルク信仰問答』問い124:「第三の祈りは何ですか?」

 答え:「「御心が天に行われるように、地にも行われますように」です。これは、

わたしたちも、また、すべての人間も、自分勝手な思いを捨てて、逆らうことなく、

あなたご自身の良き御心に従うことができますように、と祈ることです。また、この

ように祈ることによって、だれもがそれぞれに与えられている職務と召命とに、天の

御使いたちのように喜んで誠実に励むことができますように、と祈ることです。

 主の祈りの最初の三つの祈り、御名、御国、御心の実現を祈る祈りは、「地上にあ

るわたしたちにとって、これらのことすべてが全く欠けていることの認識から始めな

ければならない」とオリゲネスが教えているように、わたしたちの祈りや行動のあり

かたに根本的な変革を迫るものです。この祈りに心を合わせるためには、「まず自分

勝手な思いを捨てて…み心に従うこと」に心の向きを変えなければなりません。しか

し、エレミヤが言うように「人の心は何にもましてとらえ難く病んでいる」現実、人

類の始祖アダムとエバに遡ることができるほど複雑に絡み合っている罪の現実に生き

るわたしたちは、御心が天で行われているように地でも行われるとすれば何をすれば

よいのか、勝手に想像して、実は見当違いのことを行っている世界の現実と歴史も見

ています。

 み心が天に行われる通り地にも行われることの完全な形は、主イエス・キリストの

地上における歩みにおいて見なければなりません。「処女マリヤより生れ、ポンテオ・

ピラトの下に苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り、三日目

に死人のうちよりよみがえり・・・」と告白される主イエス・キリストにおいて、こ

の祈りが完全に実現されていることを知るのです。主イエスの地上における歩みにお

いて、この祈りが最も先鋭化するのは十字架の前夜、ゲツセマネの園における主の祈

りに示されています。「どうかこの杯をわたしから取りのけてください。しかし、わ

たしの思いではなく、御心が行われますように」と、わたしたちの罪を負い、贖いと

執り成すものとして生きる苦悩と決意をあからさまに示しています。だとすれば、こ

の祈りは自分を放棄するあきらめの祈りではなく、神の意思に従う行動への決断と決

意を示すものです。わたしたちは、この主の祈りを、わたしたちの祈りとして主と共

に祈るのです。


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