レビ記 19:1-18 ローマの信徒への手紙 11:3-36
『ハイデルベルク信仰問答』問122:「最初の祈りは何ですか?」 答え:「御名があがめられますように」です。これは、何よりも先に、わたしたちが あなたを知り、全能と知恵、善と正義、憐み、真理において輝き出ているあなたの御 業を聖なるものとし、礼拝し、高らかに賛美させてください、と祈ることです。その うえで、わたしたちの生活、思想、言語、働きのすべてを、この賛美へと方向づけて、 あなたの御名がわたしたちのゆえに汚されることなく、御名に栄光が帰せられ、讃え られるようにして下さい、ということです。」 主の祈りの最初の三つの祈りは、神の名、神の国、神の御旨の実現を何よりも先に 求めるべきことが教えられています。わたしたちの名、わたしたちの国、わたしたち の願いが祈りの初めとなるべきではないのです。「御名をあがめさせ給え」と祈るこ とは、「あなたのお名前が聖なるものとされますように」ということで、「あなたの 名」と「聖なるものとされる」の、この二つの意味が深く捉えられなければ口先だけの 呪文と同じです。あなたの名前、はただ神の名前だけを憶えれば良いということでは ありません。人の名前を呼ぶとき、相手の人格、内実、性格、行動のすべてを含んだ その人の全体と向かい合うように、神の名を呼ぶときも主なる神の全存在と向かい合 うことになります。聖なるものとされるということは、特別に大切なもの、日常的な ものとは区別され、畏れと敬い、賛美、礼拝すべき方とされるということです。 このように祈ることは、わたしたちが神に祈り、礼拝する姿勢を正すだけでなく、 このように神の全存在と向かい合うことによって、わたしたちの生き方全体が聖なる 神の名にふさわしいものとして整えられなければならないことを意味します。「わた したちの生活、思想、言語、働きのすべてを、この賛美へと方向づけて…」と教えら れるのはこの意味です。主イエスによって啓示される神との真摯な出会いと祈りが、 わたしたちの生活を方向づけ、変えます。 「御名があがめられますように」と祈ることは、そのように祈らなければ神の名が聖 なるものとされないのではありません。このように祈らなければならないのは「我々 の大いなる恥辱と結びついている」とカルヴァンは言います。わたしたちの祈りがど れほど自分自身のことに捉われ、神ならぬものを神とし、むなしい名を神のごときも のと称えているか、まずここから正さなければなりません。
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