4月10日
2016年4月10日

「天の父よ…」

イザヤ書 66:10-17 ルカによる』福音書 11:1-13


『ハイデルベルク信仰問答』問120:「キリストはどうして神を『わたしたちの父

よ』と呼んで祈るように、わたしたちに命じられるのですか?」

答え:「キリストはわたしたちの祈りを始めるにあたって、子どものような畏れと信

頼を呼び覚ましてくださるのです。これこそが、わたしたちの祈りの土台となるから

です。すなわち、神がキリストのゆえにわたしたちの父となってくださるのですから、

わたしたちが信仰を持って祈る時、わたしたちの父が地上のことについて願えば拒む

ことがないように、どんなことにもそれを拒んだりはされない、ということです。」

問121:「では、『天におられる』と言う言葉がついているのはどうしてですか?」

答え:「それは、天上の栄光に満ちた神の威光を示すことで、それを地上的なものと

考えることがないようにするためです。また、神の全能であることを示すことによっ

て、体と魂に必要なすべてのことを神に期待してよいということです。」

ハイデルベルク信仰問答は、ここから主の祈りの解説にはいります。主の祈りは、す

でに「主イエス・キリストが教えてくださった祈り」であり、「わたしたちの心と体

に必要なすべてのことが要約されている祈り」、また、「神が聞き入れてくださる祈

り」であると教えられました。そのうえで、どのような呼びかけから祈りを始めれば

よいのか、神との対話の通路はどのように開かれるのか、この重要な点について、主

イエスは「わたしたちのお父さん」と呼ぶようにと教えます。これこそ、わたしたち

の祈りの土台です。しかし、天と地の造り主であり、全能の神、生命の始原であって、

恵みと憐れみに富む方であることは認識したとしても、主なる神に「わたしたちのお

父さん」と呼ぶことはあまりにも畏れ多く、不敬にあたるのではと思うほどの親しい

呼びかけではありませんか。「御父がどれほど私たちを愛してくださるか考えなさい。

それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、その通りです」(1ヨハネ3:1)

と語られる通り、ここには神の大きな赦しと愛があります。この呼びかけは、主イエ

ス・キリストと天の父との交わりの中に人間であるわたしたち、しかも、神に背く罪

人であるわたしたちも加えていただくことを意味します。キリストの贖いと、聖霊の

執り成しなしにはあり得ない祈りの形です。


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