詩篇 19:8-15 ローマの信徒への手紙 7:7-25
第十戒「あなたの隣人の家を奪ってはならない。あなたはあなたの隣人の妻、男女 の奴隷、牛、ロバなど、あなたの隣人のものを一切奪ってはならない」は、これまで 語られた戒め全体を総括する戒めとなっています。具体的に、隣人の家、妻、男女の 奴隷、牛、ロバなどを奪うことが戒められていますが、この戒めがカバーしている生 活領域は自己中心の思いから来るすべての欲望、「むさぼり」の肥大化です。パウロ がローマの信徒への手紙7章で、「律法がなければ、わたしは罪を知らなかったでし ょう。例えば、『むさぼるな』と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかった でしょう。ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりを内に起こ しました。律法がなければ罪は死んでいるのです」(ローマ7:7-8)と、義をもたら すはずの律法がかえって悪を助長するというおかしな現象がわたしたちの中で起こる 原因、すなわち罪の働きの深淵を説明する際にこの第十戒を例に挙げているのもうな ずけます。「むさぼり」の罪はどこから来るのか。聖書は人類最初の罪は「むさぼり」 の罪であったことを明らかにしています。善悪を知る木の実を食べたのは、まさに、 「目が開けて、神のように善悪を知る者となりたい」という欲望がその根源にありま す。神のようになりたいという欲望が、偶像を生み出し、また、あらゆる種類の無節 操・無秩序な欲望の暴発をもたらしているのです。ルターは、「この最後の戒めは、 世間の目に邪悪とみられる人間どものために設けられたものではなく、むしろ、先の 諸々の戒めの一つも犯していないことを理由に、世間の賞賛を求め、正直な公正な人 間と呼ばれることを求める、まことにそうしたこの上もない義人たちのために置かれ たものである」と言って、消費社会の真っ只中で、資源も将来も食いつぶしている生 活の在り方を当然のように思って暮らしているわたしたちに警告を発しています。こ の戒めはヴァルター・リュティが言うように、まさに、わたしたちの心の地下構造に 光を当てる戒めなのです。 ここでわたしたちは主イエス・キリストの福音を信じる信仰において示されている 根源的な事柄に気づかされます。主イエス・キリストは、「ポンテオ・ピララトの下 に苦しみを受け、十字架につけられ、陰府に下り、三日目に死人のうちよりよみがえ り・・・」と告白しています。陰府にまで降りたもうキリストの力の及ばないところ はどこにもないことに気づかされるのです。
秋山牧師の説教集インデックスへ戻る