イザヤ書 60:1-6 エフェソの信徒への手紙 3:1-12
新約聖書の御言葉は、世の初めから神によって計画され、これまで隠されてきた事 柄が、いまわたしたちに明らかにされ、その実現を見ることになっていると力強く宣 言しています。その神の計画とは、ユダヤ人だけでなく異邦人も、神の福音に触れ、 御言葉を信じ、「福音によって、イエス・キリストにおいて約束されたものをわたし たちと一緒に受け継ぐもの、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるという ことです」と語られます。このことを語る時に、何度も、この計画は世の初めから隠 され秘められてきた計画、秘義・奥義であり、「時が満ちるに及んで」今こそ実現し た出来事であることが強調されていることが注目されます。現在の世界のキリスト教 会の現実からすると、ギリシャ人であれユダヤ人であれ、全世界に教会は広がってお り、どこの国の人であってもキリスト者になることは当然のことで、人種や言葉の枠 を超えて、主イエスによる神の啓示はすべての民に与えられる大いなる福音であり、 全人類が招かれていることをわたしたちは知っています。わたしたちが日本人として キリスト者であることについて、そこには何の差別もなくわだかまりを感じさせられ るものはありません。しかし、このわたしたちにとって当り前の事態が、実は異常な 本来ありえない事態であって、長く秘められたことであったことを知らされることに よって、改めて、わたしたちが神の民とされることがどれほどの恵みであったのかに ついて思い知らされます。この意外さ、驚きに触れるときに、わたしたちのキリスト を信じる信仰に付きまとう、自らの国民性、文化的、言語的背景、自らの好み、相性、 人間的な枠組みをこえて真の神の民としての根源性にどれほど根差した信仰になって いるかを反省させられます。わたしたちの教会は、共に礼拝に集う者の間で、また、 世界のキリスト者の交わりにおいても、わたしたちが神の民とされ、約束されたもの を共に受け継ぐもの、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者としてされていると いう恵みの事態を真実に受け入れ、どれほど忠実に歩んでいるかが問われます。 『起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く』とイ ザヤは高らかに宣言します。神の秘められた奥義が明らかにされる時「闇が地を覆い 暗黒が国々を包む時」にも、世界を変える事態が起こります。まさに神のこの計画は 現在進行中のこと、わたしたちはその担い手であるに違いありません。
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