エレミヤ書 31:7-14 エフェソの信徒への手紙 1:3-14
2016年、新しい年を歩み始めるわたしたちに、主のみことばはわたしたちの思 い描く現実の認識や将来への見通しを越えて、主なる神が計画し、そのことに向って 私たちを招いておられることに心を体を合わせて歩むべきことへといざないます。 エフェソの信徒への手紙の初めにある、切れ目のない壮大な神への賛美の言葉は、 主なる神が主イエス・キリストを通してどのように恵み深い方であるかが語られてい ます。その中で、この一連の賛美の言葉の中に、何度も「前もって…」という言葉が 使われていることが注目されます。「神は私たちをキリストにおいて…天地創造の前 に・・お選びになりました」(4節)、「イエス・キリストによって神の子にしようと、 前もってお定めになったのです」(5節)、「神は子の恵みをわたしたちの上にあふれ させ、すべての知恵や理解を与えて秘められた計画をわたしたちに知らせてください ました。これは前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。」 (9節)、「キリストにおいてわたしたちは御心のままにすべてのことを行われる方の 御計画によって前もって定められ約束された者の相続者とされました。」(11節)。 わたしたちはここに集って2016年の歩みを始めて、共に礼拝をしていますが、この営 みは「天地創造の初めより前もって定められたもの、わたしたち一人一人はその昔か ら神の子にしようと選ばれていた者だというのです。わたしたちの歩みの根拠が、わ たしたちの願いや信仰にあるのではなくこの神の先行する選びと救いへの願いと慈愛 があること、このことを確認して歩み始めなければなりません。 次に注目したいのは、この一連の賛美の中に「贖い」という言葉が2度出てきます。 「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。」(7節)、 「こうしてわたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるの です。」(14節)。「贖い」は、血の代価を支払って罪の奴隷の状態から自由になるこ とで、キリストによって与えられる救いを最も核心的に表現する言葉です。この「贖 い」が、ここでは7節と14節で二通りの内容を表しているのです。7節の方は、主イエ イエス・キリストの血による罪からの解放、14節の方は、「天にあるものも地にある ものもキリストにおいて一つにまとめられる」という神の秘められた計画の相続者と なることに向っての贖いと理解できます。わたしたちの生涯の目標はこの神の計画の 実現にあります。
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