12月27日
2015年12月27日

「キリストの平和が心を支配するように」

サムエル記上 2:18-26 コロサイの信徒への手紙 3:12-17


 クリスマスを祝った次の日曜日、神の御子がわたしたちと共に歩んでくださるため

にこのように来られたことを学んだ私たちは、どのように生きるべきかについて、コ

ロサイの信徒への手紙は単刀直入にこう語ります。「あなたがたは神に選ばれ、聖な

る者とされ、愛されているのですから、憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につ

けなさい」と。ここに挙げられている5つの徳目はすぐ前のところにある「怒り、憤

り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉」の5つの悪徳に対応しています。これが

「古い人」を特徴づける性格であるとしたら、先の5つの徳目はキリストにある「新

しい人」の生き方、あるいは対人関係の持ち方であるのは明らかです。わたしたちの

思い描く歴史的なキリスト者のイメージは、確かにこれら5つの徳目を体現して、

「敬虔なクリスチャン」との評価を得ています。しかし、わたしたちはどうか。この

時代のキリスト者はどうか。その実態からすると古い人の悪徳の方が身について、古

い人を脱ぎきれず、「造り主の姿に倣う新しい人を着ているとは到底言えない醜態を

さらしていることになっていないか、と反省させられます。世間の目からすれば、よ

ほどの悪事を働かない限り、それが人間の自然のすがたで、ありのままでいいのだ、

と認め合うことになるでしょう。しかし、キリストに結ばれて生きる者は、「古い人

を脱ぎ捨て、新しい人を着るように」と促され、新しい人に変るように勧められてお

り、そこには妥協はありません。

 古い人から新しい人への転換、「脱ぎ捨て」「着る」ことはどのようにして起こる

のか、それは自分の生来の性格や日々の自己評価の向上の努力によって得られるもの

ではありません。「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのです

から」と、わたしたちのアイデンティティの置き所を、キリストによって与えられ約

束された自己に置かなければならないことが教えられています。また、「互いに忍び

あい、責めるべきことがあっても赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださっ

たように・・」と語られるように、絶えず主イエス・キリストがあなたにどのように

されたかを意識しながら生きること、このような土台と、このような目当て、模範を

もって生きるようにとの秘訣が語られています。「キリストの平和があなたがたの心

を支配するようにしなさい」確かに、平和はこれらすべての徳目があらわされる時に

あるもので、それは賞としてかちとられるものです。この平和を世界は切望していま

す。


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