イザヤ書 62:6-12 ルカによる福音書 2:1-20
ルカによる福音書を通してクリスマスのたびごとにわたしたちが聞く神の言葉は、 人間の期待や予想を超える不思議な出来事に満ちています。旧約の全歴史を通して待 ち望まれたメシア、主の民に罪の赦しによる救いをもたらす救い主が生まれたことを 最初に知らされたのは、ベツレヘムの郊外の野原で野宿をして羊の番をしていた羊飼 いたちでした。天使たちはたまたま偶然にそこにいた人たちにこの重要な知らせを告 げたのではないと思います。ガリラヤの一処女マリアを主イエス・キリストの母とし て選ばれた主の深いみ心が、ここでも示されています。神の御用のために主は人を選 ばれますが、それは人間の基準によるものではなく、神様ご自身の選びによるもので す。 「救い主が今日お生まれになった」との羊飼いへの知らせによって気づかされる第 二の不思議は、主の天使は、「この方こそ、主なるキリストである」と告げたことで す。今日生まれた嬰児、しかも、飼い葉桶に寝かされ、布にくるまれた嬰児が、やが て将来はメシアとして偉大な人物になると告げられるのではなく、この嬰児が、「主、 メシアである」と現在形で語られているのです。「人間の姿」になられた神の御子に は、赤ん坊の時代もあり、幼児から児童、青年へと成長する姿があり、その年代に応 じて、様々な葛藤があり、その年代の人でなければ味わい得ない経験と仲間がありま す。生まれたばかりの赤ん坊も、また救いをもたらす者となり、主なる神ご自身が主 なるキリストとしてこんなにもわたしたちの近いところにまで来てくださることを示 しています。このような低さなら、羊飼いたちも、そして、わたしたちも、恐れなく 主なるキリストに近づくことができます。人間が考えるような豊かさや高みにおいて ではなく、わたしたちの想定する所と形をはるかに超えた恵み深い形で主はわたした ちと出会われます。羊飼いたちは『さあ、ベツレヘムに行こう』と立ち上がりました。
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