12月13日
2015年12月13日

「聖霊と火によるバプテスマ 」

ゼファニヤ書 3:14-20 ルカによる福音書 3:1-18


 アドヴェントを過ごしているわたしたちに与えられる旧約のゼファニヤ書の言葉は、

「シオンよ、恐れるな。力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におら

れ、…愛によってお前を新たにし、お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる」と、

神からの救いの日の到来を高らかに告げています。しかし、この言葉のすぐ前のとこ

ろでこの同じ預言者が間もなく来る主の日について、その日は「憤りの日、苦しみと

悩みの日、闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である」と、暗い恐ろしい日として描いてい

ます。愛と慈しみの神と怒りと裁きの神という神の二面性を伝えているのです。ゼフ

ァニヤはこの二面性の背後に「熱情の神」「主の熱情の火」があるからだと表現して、

創造者である神の罪を犯す人間に対して無関心ではいられない母親や父親のような熱

い思いを表しているのです。

 アドヴェントの度に聞くバプテスマのヨハネの、「蝮の子らよ、差し迫っている神

の怒りから免れると誰が教えたのか。われわれの父はアブラハムだなどと思ってもみ

るな・・」と激しく語って、罪からの悔い改めと洗礼を迫った宣教の言葉の中にも、

ゼファニヤが感じ取った神の熱情の火が燃えているのを感じます。愛するがゆえに罪

に安住し滅びに向って堕ちて行く人々を放置できない神の燃える心を伝えているので

す。ヨハネの語る「悔い改めにふさわしい実」、「良い実を結ぶ木」とは何か。「下

着を二枚持っている者は一枚も持っていないものに分けてやれ。食べ物を持っている

者も同じようにせよ」、また徴税人に対しては「規定以上のものを取り立ててはなら

ない」、兵士に対しては「誰からも金をゆすり取ったりだましたりするな。自分の給

料で満足せよ」と、極めて具体的現実的であることに驚かされます。神の国の到来は、

社会全体の構造改革であり、世界全体が一新される事態であるはずですが、ヨハネは、

人間がひとり一人、神に立ち帰って、ひとり一人が生きる生き方を変えて行くこと、

自分を中心にいかに金と物と権力を獲得するかを目指すのではなく、分け合う事、誠

実に共に生きることへの個別的な決断であると勧めます。神の前に立って生きる一人

の人としてのまっとうな生き方を求めているのです。このような生き方へと回心する

ことによって、火と聖霊によってバプテスマを施す天からの人・メシアを待ち望む世

界が整えられます。ヨハネの宣教は、主イエスの到来によって終わった働きであると

ともに、アドヴェントの度に再現され聞き直されるべき宣教の働きであることは確か

です。


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