マラキ書 3:1-4 ルカによる福音書 3:1-18
クリスマスを前に、主イエス・キリストの到来を待ち望む日々を過ごすために与え られる主の言葉は、旧約のマラキ書の中から「見よ、わたしの使者を送る、彼はわが 前に道を整える」という、道を備える使者の到来の預言と、新約のルカによる福音書 によって告げられるバプテスマのヨハネの宣教の初めを告げる、この預言とその約束 の成就の言葉が選ばれています。 マラキ書は、イスラエルがバビロンの捕囚から帰還して、神殿を建てなおし、ユダ ヤ教の再興をはかった時代以降の書と思われますが、この書の預言の内容は、神への 畏れを欠いたおざなりの礼拝の姿勢、神に仕える祭司(レビの息子たち)のだらけた姿 勢に対する厳しい指摘があります。神にささげる供え物はきずもの、汚れた物、祭司 たちの生活の乱れに対して厳しい裁きが告げられるのです。そこで、「わたしは使者 を送る」という中心メッセージが語り出されます。本来神から送られる使者は喜びの 知らせ、福音であるべきはずですが、マラキ書が告げる使者の到来は違います。主御 自身が来られることに備え、道を整えるために遣わされる故に、その使者は「彼は精 錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座し、 レビの子らを清め、金や銀のように彼らの汚れを除く」と語られます。神から遣わさ れる使者は、罪を清め、神への畏れを呼び覚まし、人々の心を、特に祭司の礼拝の姿 勢を焼き直すことを通して、主が来られるときに備えるというのです。 福音書記者ルカは、このマラキの預言がバプテスマのヨハネの宣教において実現し たと見ているようです。1章のところで既に詳しくヨハネの誕生のいきさつを伝えた うえで、3章の初めから彼の時代の政治と宗教の支配構造を表す多くの名前を挙げた のちに、「神の言葉が荒れ野でザカリヤの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨル ダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めのバプテスマを 宣べ伝えた」と、荘重な出だしでヨハネの宣教活動を伝えています。人々が自らの誇 りと欲望の実現を目指して懸命にうごめく時代と社会のただ中に、それらの場所や状 況とは別の場所、人間の街と対極にある「荒れ野」から、神の到来に備えるための使 者、道備えをする者が現れ、その働きによって、罪の赦しを得させる悔い改めが起こ される、このようにして神の救済計画が実現することを告げるのです。ここから罪の 赦しとバプテスマというしるしを通して示される神の救済計画が始動し始めます。
秋山牧師の説教集インデックスへ戻る