申命記 5:12-15 ヘブライ人への手紙 10:19-25
十戒を通してわたしたちは神が主イエス・キリストによって成し遂げられた解放と 救いの御業にあずかった者が、どのように生きる事がわたしたちの解放と救いと平和 をもたらすことが出来るかを学んでいます。第4戒「安息日を覚えてこれを聖とせよ」 は、十戒の中心にある戒めです。7日ごとに一日を特別な日として全ての労働をやめ て休むという不思議な習慣が、どのような自由と救いをもたらすのか、『ハイデルベ ルク信仰問答』の解説は、少し偏りがある感じがしますが、福音の説教とそれを教え る学校が維持されるべきことと、教会に来て聖書の言葉を学び、聖礼典にあずかり、 献金をすること、これによって「この人生において永遠の安息のはじまりにあずかる ようにすることです」と、日曜日に礼拝をすることの意義を強調しています。この戒 めの心を捉えるために、出エジプト記の20:8-11と申命記5:12-14に記されている十戒 の言葉を注意深く読むことが重要です。7日間の最後の日を安息日として「これを聖 とする」ということは、他の6日間とは違った別の日、特別な日としなければならない と言うことです。そのために収穫することも、種を蒔くこともしてはならない、と。 聖とするということは、ただ休みの日とするのではなく、神との交わりの時、神の思 いに心を合わせるときとするということを意味します。また、この戒めは、神を信じ る個々人の問題ではなく、息子、娘、男女の奴隷、家畜、町の門の中に寄留している 旅人までも休まなければならない制度なのです。出エジプト記の方は「安息日をおぼ える」ようにとの戒めですが、申命記の方は「安息日を守る」ように命じられ、さら に「牛、ロバなどすべての家畜も」という言葉や、「そうすれば、あなたの男女の奴 隷も休むことが出来る」という言葉が加えられており、社会全体、特に過酷な労働に 苦しむ人のために安息の日を休みとしなければならないことになっています。どうし てこの日を安息の日としなければならないかの理由も、出エジプト記の方は、神の天 地創造の日々の最後に神が休まれたことを根拠にしていますが、申命記の方はイスラ エルの民がエジプトの地、奴隷の家から導き出されたことを思い起こさせるため、と なっています。安息の日を特別な日として過ごすためには、天と地を造られた神の御 思いに心を合わせることと、わたしたちを罪より解き放ち、救いをもたらして下さっ たことを、社会全体で共に覚えて、新しい日に備えること、礼拝はまさにそのことの ためにあることに思い当たります。
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