詩篇 126:5-6 マタイによる福音書 13:31-35
イエスさまは、神の国・天国とはどういう所かを、たくさんの譬えでお話になりま した。わたしたちは人間ですから、神の国・天国がどういうところか、本当のことを 知ることはできません。ある人たちは、天国はすばらしところで、わたしたちの世界 では経験できなかったすばらし人とすばらしい豊かな物に満ちた、楽しいところと想 像します。別の人たちは、逆に、神の国は正義と公正が通るところ、正しい人、良い 人だけが入れるところだから、そこでは、わたしたちの考えや行いがすべて裁かれる、 恐ろしいところ、死んだ人の国、終末の大混乱のことと考えるでしょう。 イエスさまが知っている天国・神の国には驚かされます。わたしたちが想像するこ ととはまったく違っているのです。それはからし種のようなもので、「人々がこれを 蒔けば、どんな種より小さいのに、成長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥 が来て、枝に巣をつくるほどの木になる」とか、パンだねのようなもので、「女がそ れを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる」と語られます。「からし 種」にしても、「パンだね」にしても、共通していることは、初めは小さく目にも留 まらないものだが、それは驚くほど大きく成長する、あるいは、ふくらむ、というこ と、それと、小さなものが大きくなるその過程は、ありふれた現象だけれど、人の手 によって引き延ばしたり、膨らましたりするのではない、不思議な力が働く、という ことです。天国がそのように譬えられるということは、神の国を実現させるために人 が武力を用いたり、自分の知恵や力で、邪魔なものを殺したり抑えつけたりすること によって来るものではないのは確かです。イエスさまが、天国は「からし種」のよう なものだとか、「パンだね」のようなものだ、と言われる時、これによって、イエス さまと共に来る神の国のことを語っておられるに違いありません。「時は満ちた、神 の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というイエスさまの宣教の言葉の中 に、この譬えも包まれているからです。イエスさまが語られる言葉、イエスさまがな さる全ての働き、それは小さな、一つのことにすぎないけれど、実は神の国の種のは じまりが告げられているのだと。だとすれば、イエスさまと一緒にするわたしたちの 小さな働きも、神の国の始まりに加わっていることになります。わたしたちも、神の 国の成長に加わるように、わたしたちを招いているのです。
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