イザヤ書 40:18-26 ローマの信徒への手紙 10:14-21
十戒の第2戒は「刻んだ像を造ってはならない」です。ハイデルベルク信仰問答は 「神の形を、どのような方法であれ、形づくってはならないということ、また、神は 御言葉をもってお命じになったのですから、それ以外の方法で礼拝してはならないと いうことです」と解説して、形あるもので神を礼拝するのではなく、御言葉を聴くこ との大切さを強調しています。旧約聖書も新約聖書も、周辺世界には偶像があふれて いるのに、それらの風習とは全く違って、形あるものを造ること、ひざまずくこと、 仕えることを厳しく禁じています。教会には、歴史を貫いて、どの文化とも、このこ とをめぐる誘惑と、激しい闘いがあります。それほどに人間は形あるもの、目に見え るものを礼拝したがるものであることを示しています。 なにゆえに、刻んだ像を造ったり、礼拝してはならないのか、その核心を捉えるこ とは容易ではありません。預言者たちはイスラエルの社会や周辺の諸国に蔓延する多 くの偶像礼拝の習慣に対して極めて皮肉な目でこれを揶揄します。被造物である人間、 限界のある人間が創造者であり永遠である神を形づくることの本末転倒、木や金属な どの物質で像を造ってこれを拝む愚かさをあげつらうのです。「目を高く上げ、だれ が天の万象を創造したかを見よ」(イザヤ40:26)、「主は真理の神、命の神、永遠を 支配する王。…天と地を造らなかった神々は、地の上、天の下から滅び去る」(エレミヤ10:10,11) というのです。しかし、このような合理的な精神は、現代人の感覚からしても理解で きますが、合理的・理性的な判断だけでは、偶像を造りたがる人間の宗教心を抑える ことはできなかったのではないかと思います。 「刻んだ像を造ってはならない」という第2戒を通して、創られたものを通して神を礼 拝することが厳しく禁じられるこの戒めの心は、第1戒と同じく、「わたしは主、あ なたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」という十戒の 前文と、2戒の中で語られる「わたしは主、あなたの神、わたしは熱情の神である」 という言葉に鍵があります。神との関係を正しく保ち、また、奴隷の家に逆戻りした りしないで、自由に、真の祝福と平和を作り出すような生き方へと導く、まさに、こ の神の「わたし」との正しい交わりを求める熱情こそ、この戒めの核心です。
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