10月4日
2015年10月4日

「ほかに神があってはならない 」

申命記 5:6-21 マタイによる福音書 22:37-39


『ハイデルベルク信仰問答』

 問94:「第一の戒めは何を求めていますか?」

 答え:「わたしの魂の解放と祝福のために、あらゆる偶像礼拝や魔術、迷信的なま

 じない、諸聖人やその他の被造物に願をかけたり、気慰めを得たりすることなく、

 唯一のまことの神を正しく認識し、謙遜に忍耐の限りを尽くして、ただ神にのみ信

 頼し、ただ神からのみ全ての良きことが来ることを期待すること、また、心から神

 を愛し敬うことです。・・・」

 十戒の第1戒は、すべての戒めの中で最初の最も重要な戒めです。偶像礼拝が厳し

く禁じられています。この厳しい他の宗教の存在をゆるさない排他性が、一神教であ

るキリスト教の悪いところで、これが戦争の原因になる、などと言われることもある

戒めです。多神教の国々が寛容で戦争をしなかったという事実はどこにも見出せませ

んが・・・。この第T戒の心は、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、

奴隷の家から導き出した神である」という前文の大切さについてはすでに先週学びま

した。更に、「あなたはわたしをおいて他に神があってはならない」という戒めは、

「あなたがた」ではなく「あなた」への戒めであること、また、「わたしをおいて他

に・・」は、原文では「わたしの顔の前に・・・」と「顔」という言葉が使われてい

ることに注目しなければなりません。「顔」は「顔を立てる」とか「顔をつぶす」、

「顔に泥を塗る」という言葉があるように、交わる相手の人格を表します。主なる神

は、御自身の顔を一個の存在であるわたしに向けて「あなた」と語られます。その交

わりの中で、わたしの存在に対して責任を負って確かにわたしを導いて下さることを、

約束し確認して下さるという宣言がこの戒めには隠されています。従って、この戒め

は一般的な道徳や一神教の教理などではなく、「熱情の神」のわたしへの呼び掛けで

す。

 では、どうして、この第1戒は、他の神々のようなものに顔を向けてはならない、

と厳しく、否定的で排他的な表現なのでしょうか。それには、わけがあります。自分

の意思で神を選び、神のようになりたがってやまないわたしたちの内に潜む根源的な

罪の傾向性、自らを奴隷化し、死と滅びへと突き進んでゆく傾向性があることを、主

なる神は見抜いておられるからです。この戒めは、わたしたちの自由の領域、境界線

がどこにあるかを設定し明示しているのです。


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