出エジプト記 20:1-17 マルコによる福音書 12:28-34
ハイデルベルク信仰問答の学びは第3部、「感謝について」に入りました。ここでは、 主イエス・キリストによってあらわされた神の真実と救いに対して、わたしたちがな すべき感謝の応答とは、「真実の信仰から、神の栄光を現すために成される神の戒め に従う行為」と規定され、十戒の解説へと展開します。十戒は「あらゆる正義の完全 な基準であって、すべての人に、すべての時代に、絶対的に全てに適応される原理」 (カルヴァン)と称されますが、反面、「〜してはならない」との厳しい禁止条項にた じろぎます。キリスト者にとって十戒はどのような意味を持つものなのか、改めてそ の一つ一つの戒めを聴きたいと思います。 十戒を取り上げるにあたって、基本的なことを確認しておかなければなりません。 (1)私たちの信仰生活において十戒が占める位置はどこか、について。マルティン ・ルターは十戒の主要な役割は「教育的な用法」にあると考えます。つまり、十戒は、 神の律法であって、人間の罪を明らかにし、糾弾し、裁きを行う機能、それゆえに、 罪と裁きに耐え得ない全ての人はキリストの福音の下に逃れて行くための「養育係」 の位置に置くのです。これに対してカルヴァンは、十戒の位置をキリストにより福音 によって罪から解放された者が自由に生きる道筋を示すもの、と考えます。ハイデル ベルク信仰問答で置かれている十戒の位置は、感謝の応答の仕方として十戒を取り上 げていますので、明らかにカルヴァンの考えに従っていることになります。キリスト 者の信仰生活には、律法から福音へ、さらに福音から律法へとの循環があることを教 えられます。新約聖書のパウロの手紙を読むと、一面的に律法から福音への道が強調 されているように見えますが、パウロは決して無律法の放縦をゆるしているわけでは なく、キリストにあって生きる生活に対して責任のある生き方を指示しています。 (2)十戒の戒めの前文、「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷 の家から導き出した神である」の意議の大切さ。十戒をはじめとするすべての戒めは、 罪を指摘し裁くための法令集ではなく、奴隷の家から救出した神の民を神の民にふさ わしいものにするための道、知恵、仰せであることがこの前文に示されています。詩 篇で歌われるように、これが命であり道であり、光であって、命をかけて慕い求める べきものなのです。
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