ヨエル書 2:12-14 エフェソの信徒への手紙 4:17-32
『ハイデルベルク信仰問答』の第三部は、「感謝について」の表題の下に、主イエス・ キリストの贖いにあずかったキリスト者の生活の仕方について、「全生涯をあげて神 に感謝をささげ、御業を証しし、主が讃えられなければなない」と教えられます。次 に教えられることは、全生涯をあげて神に感謝する生活を具体化するために、「古い 自分からの断絶と新しい人への復活」という二つの方向への闘いと努力が必要だとい うことです。キリスト者の生活が形成されてゆくために、この相反する二つの方向へ の成長、深化、成熟がなければならないことは、聖書に繰り返し教えられています。 (ローマ6:1−11;2コリント5:17;エフェソ4:22−24;コロサイ3:5−10参照)。 キリスト者は歳を重ねて行くにしたがって、ますます、この下に向う歩みと上に向う 歩みの両方向への思いと歩みに熟達してゆかなければなりません。 「古い自分からの断絶」とは、エフェソの信徒への手紙によれば、「愚かな考えに 従って歩み、知性は暗くなり、…無知とその心のかたくなさのために神の命から遠く 離れています。そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行為に ふけってとどまるところを知りません」と言われるような生き方に見切りをつけるこ と、「新しい人への復活」とは、キリストに学び、キリストについて聞き、キリスト に結ばれて教えられ、「神にかたどってつくられた新しい人を身に着け、真理に基づ いた正しく清い生活をするように」と、強く勧められています。 キリスト者として生きることは、またもやこのようなキリストの律法に縛られた窮 屈な生活をしなければならないのでしょうか。古い律法から解放されても、新しいキ リストの法に束縛されるとしたら、解放と自由は見せかけだけではないのか。しかし、 罪から解放されて無感覚な放縦の生活に陥るとしたら、これも滅びと死の結末が待っ ているだけです。このディレンマをどう克服するか、その鍵は、「キリストに学び、 キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ・・」とキリストを通して主な る神との人格的な生きた交わりから生まれる悔い改めと回復にあることを教えられま す。全生涯をあげての感謝は、まさに、この交わりから生じるはずです。
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